人生なんて、頑張って意味あんの?

俺が仕事したところで、たかが知れている。

流石に一気に4つ目のNotaとなると、少し息切れしてきている。もうまとめてオムニバス形式でいいかなぁ、なんて。

さっきのNotaで「頑張る」みたいなこと書いてたのに、舌の根の乾かぬ内によくぞまあこういうことを言う、と。

3つ前のNotaで書き忘れていたけれど、この3年で知ったというか感じられるようになったこととして、「死を身近に感じる」というのがある。「死を前提にして生きるようになった」というか。

流石に明日のことは分かっても、一か月後や、半年後はほんとに自分が何をして、どこにいるのか分からない状況になったこともあり、あと、この3年間に見た映画や漫画や本を通じて、「死ぬことを前提に人生を生きるべきだ」と思い、感じ、身に付き、それが基本となりつつある。

それもあってか、この12月、幼少の時に感じたような、漠然とした「死ぬのが怖い」というふわっとした感覚に、2度ほど襲われた。「自分が無くなる」のがこえぇ。

「この世にも人生にも意味は無い」とか言ってるけれど、やっぱり避けようがなく、死が怖いんだよ。結局、理屈を並べ立てて、頭でっかちに、講釈を垂れまくっているけれど、「死にたくない」というのを、芯のところで持っているということを感じた。死ぬときに、ちゃんと死を落ち着いて受け止められるか、不安だ。

そして、知識も能力も経験も、あの世には持っていけない。「あの世に金は持っていけない」とかいう話はよくあるけれど、それ以外の全てのものも、あの世には持っていけない。という厳然たる事実。その厳然たる事実を完全に受け容れた上で、「どう生きるか」という話。これを、自分で覚悟を持って決めていない限りは、まともには生きられない。より良くは生きられない(この「より良い」というのは、道徳的に「善い」とか、社会的に「良い」とは関係ない)。

ただその、まがいようのない事実。みな、必ず死ぬ。それを目を逸らさずに受け容れて、どう生きるか。

まだ、社会的に認められる、いい人であったり、面白い人でありたいなどという、要らない欲求がある。「この世にも人生にも意味が無い」と言って、こういう生き方をやるって決めておきながら、結局社会的評価とか求めてる。理性を完全に重視するんじゃなかったのか。なんでもいいはずだろ?他のことなんか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です