熱田神宮でセックスしたことあるよ

相手はアイカで。142cmしかない。今考えれば、すげぇロリだし、可愛かったなぁ、勿体ないなぁと思う。私はゲスです(こんなことをイチイチ書くことが、ね)。彼女には、その後(って言っても、結構経ってからだけど)、ヒドイ対応をして連絡も取れなくなった。

ジェトロの裏庭みたいなところでもセックスしたことある。ナガシマスパーランドの観覧車でもしたことある。ケツにバイブ突っ込んだことが2回ぐらいある。いや、違った。3回か(女の、じゃないよ。自分の、だよ)。

浪人中から、シコッた時に出た自分の精子は、舐めるようにしている。キチガイになりたかった、というのが主因だけれど、実家のティッシュやトイレットペーパーの消費量を誤魔化そうとした、という副因もある。残念ながら、別に楽しくてやってるわけではない。

一個前のNotaにも書いたように、15年ぐらい、思ってることをだいたい包み隠さず、汚いことまで含めて書くことを続けているんだけれど(最近汚いこと、ゲスなこと、気持ち悪いこと、変態なことを、あまり書いていないが)、その動機の一つに、「キチガイになりたかったから」というのがある。

高校時代には今のように考えていたことを言語化していないから、当時の自分の思考・思想の詳細が不明なんだけれども、「この世はおかしい・狂ってる」的な思想があって、また、「自分が何者でもない、矮小なパンピーだ」という感覚があったから、キチガイにならないとやってられないし、キチガイになりたいと、キチガイに憧れた。その思想は、高校の時から言っていたという、「神になりたい」という将来の夢に表れている。

その「キチガイになりたい」欲求は今でもあって、「なんでもやってやろう」、「なんでも見てやろう」感は持ち続けているのだけれど、結局チキンだから、やれていることは少ない。

とかくまあ、わざわざ人様の目に見える形で書く必要もない、こういう「イタイ」ことを書くのは、「キチガイになりたいから」ということ、という話。ただ、やってることが、矮小すぎるのよね。サルチネスの主人公がやってた、「修行」をする、っていう感覚も、近くて、よく分かる。

非道徳的なことをやったり、言ったり、見たりすることで、一般の社会の価値観を超えた、何か凄い者になれるかと思って試してみたけど、別になんにもなんなかった、という話である。

ただ、多少は、社会の周縁部にいる、平均値や中央値から乖離した人々の気持ちや感覚が、分かるとは言わないまでも、想像できたり、理解はできるようになったと思う。だから、彼らと仲良くなれる能力を保持していると、思っている。

浪人中には、わざわざ別に感情的には見たいわけでもないのに、首切り動画とか探して見ていた時期もある。とかく、死生観・善悪観念等々、既成の価値観をぶっ壊して、キチガイになりたかった。

なんてことをふと改めて思ったのは、単に熱田神宮にふらっと一人で初詣に行ったから。過去をふわっと思い出して。

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